死と共に歩む

今日もあの神様は、痛みと苦しみの中で死ぬ。

貴方が僕を見つける前から、僕は貴方のことを知っていた。一日に一度、必ず貴方は死ぬ。殺されたり、事故に巻き込まれたり……時には自ら命を絶つことだってあった。

僕はそんな日々に耐える貴方の、力になりたいと思った。

……だからあの日、僕は貴方に全てを捧げたんだ。



罪業-5260年のある日。

死の神オルトスは、一人夕日を眺めていた。

オルトスの身体は全身が血に塗れ、口からは血が滴り、白い肌には傷がいくつも刻まれていた。

「……また人間に殺されたのか、私は」

オルトスはそう呟くとはぁ、と小さく溜息をつく。

神殺しが横行しているこのご時世、人間が神に向ける怒りは理不尽極まりないものが多かった。家族の死を初めとしたあらゆる不幸を経験した人間達が、やり場のない怒りを神々にぶつけていたのだ。そんな中、一番被害を被ってるのは紛れもなく死に最も近い存在であるオルトスであり、死ぬことを許されていないからこそ格好の的にされていた。

オルトスはとりあえず血を落とそうと歩き出す。人間が誰も立ち入らないであろう過酷な道が続く山をひたすら進んでいくと、大きな泉のある場所に出る。そしてオルトスは人の気配がしないのを確認し、水浴びを始めた。事実上の不死とはいえ、傷が完全に癒えるまでに時間がかかってしまう。そのため塞がっていない傷口に水がかかる度に、オルトスは痛みで微かに顔をしかめていた。

ある程度血を落としたあと、オルトスは肩までゆっくりと浸かる。その頃には傷は完全にふさがったようで、満足そうに目を細めながら景色を眺めていた。

すると、オルトスの傍に1羽のカラスが近付いてきた。そのカラスを見たオルトスは、目を細めて指を近づける。カラスはそれに気付くとその指に擦り寄りカァ、と短く鳴く。

このカラスは最近オルトスが泉にやって来る度にそばに現れ、毎回こうして近くに寄ってくるのだ。カラスにしては異常なほどの魔力量の気配があり、オルトスも今ではカラスのことをかなり気に入っていた。

「今日も来たのか、ここには私しかいないというのに」

カラスはオルトスのその言葉に答えるように楽しそうにぺたぺたと泉の傍を歩く。

オルトスは権能によって魂を宿す者の意思を汲み取ることが出来る。だからこそ、このカラスが自身に対して多少なりの好意があることにも気付いていた。オルトスは死を繰り返す日々の中で唯一、警戒を解くことのできるこの時間が何よりも好きだった。


それからしばらく経ったある日のこと。オルトスが街から少し外れた場所を歩いていると、複数のカラスが大きく鳴きながら飛び回っているのが見えた。

その周囲から覚えのある魔力の気配を感じオルトスが近付いてみると、傷だらけになった例のカラスがいた。何者かに襲撃されたのだろう、翼に矢が刺さっていた。

オルトスは周囲のカラス達に目配せをすると、それに気付いたカラス達は飛び去っていく。

「私は治癒をかけてやれるような存在ではないが……当てならある。少し我慢しててくれ」

オルトスはそう言うとカラスを優しく抱え、とある神のもとへ向かう。

オルトスが移動を始めて少しして、目の前に輝く金髪を靡かせている美しい神が見えた。

「オルトス、君がここに来るなんて珍しいね……その子は?」

「シエル。突然すまない、この子を助けてはくれないか」

オルトスはその金髪の彼……シエルに助けを求める。シエルは「君が頼むなんて不思議なこともあるんだね」と微笑みながら承諾した。

シエルは天空の神でありながら、祈りを捧げる人々を救ってきた善の象徴ともいえる存在だった。それ故に彼は争いを嫌い、戦えないかわりに治癒能力は神のなかでも頂点に立てるほどの実力がある。だからこそオルトスはシエルを頼ったのだ。

シエルは優しく翼を貫いていた矢を抜き、カラスの傷を癒していく。みるみる回復していったカラスは、嬉しそうに翼をぱたぱたさせていた。

「ふふっ、ちゃんと治せて良かった。オルトスの判断が早かったおかげだね」

「いや、私は別に……」

オルトスが否定しようとするとカラスはオルトスの手を軽くつついたあと頭を擦り付けた。感謝しているのだと気付いたオルトスは小さく溜息をつき、シエルはその様子を微笑ましそうに眺めていた。

「その子、オルトスのことが大好きなんだね。もうオルトスが世話してあげたらどうかな」

「は……?」

「だって、この子魔力も多いから他のカラスと違って狙われやすいと思うんだ。オルトスも狙われてばかりだけど……守る存在がいた方が少しは生きる希望になるんじゃないかと思って……僕の意見でしかないけどね」

シエルの言葉にオルトスは目を見開く。自分が誰かを守ろうと思ったことなんて一度もなかったからこそ、この子を傍に置くことに不安を感じていた。

「私に、守れるのだろうか。私といたことでこの子が死んでしまったら……」

「守れるよ。オルトスは誰よりも死の怖さを知ってるからこそ、誰よりも信頼できると思ってるから」

オルトスは暫く目を伏せ考えた後、覚悟を決めたようで縦に頷いた。シエルはほっとした様子でカラスに「よかったね」と微笑みかけた。カラスはそれに返事するように鳴くと、シエルはそういえば、と思い出したように話し出した。

「一緒に過ごすなら、この子に名前をつけてあげない?」

「名前、か……」

オルトスはじっとカラスを見つめる。カラスは少し恥ずかしそうにぴょんぴょんと跳ねていたが、オルトスはそれを見てぽつりと呟いた。

「……レイヴン。この名前でいいか」

オルトスの問いに、カラスは元気にカァ、と鳴く。そしてオルトスの肩の上に乗った。レイヴンという名が相当気に入ったらしかった。

「レイヴンかぁ、いい名前だね。これからよろしくね、レイヴン君」

レイヴンの嬉しそうに動き回る姿を、2人は暫く微笑ましそうに眺めていた。


その後のオルトスとレイヴンは、どんな時も共に行動していた。オルトスが人間に命を狙われた時はレイヴンを守り抜き、レイヴンは少しでも力になりたいと小さい身体でオルトスの身の回りの世話をしていた。

そんな日々が暫く続いたが、鳥と神とでは寿命の差はどうすることも出来なかった。

鳥は早く死んでしまう。オルトスはそれを分かっていたが、気付かないふりをしていた。そう、レイヴンが飛べなくなった、あの日まで。

「……もう、寿命が来てしまったか」

ぐったりしているレイヴンを優しく撫でながら、オルトスは眉をしかめていた。相手が鳥だとしても、オルトスが唯一素を晒せる存在だったのには間違いなかった。だから、それを失うのが何より怖かった。

オルトスはレイヴンに問い掛ける。

「最後に、言い残すことはあるか」

オルトスは権能で魂の意志を汲み取り、願いがあるのなら少しでも叶えてあげたいと、そう思ったのだ。

レイヴンは、最後の力を振り絞るように魔力を込め、オルトスの脳に直接訴えかける。


"僕が人間だったら、もっと貴方の傍に居られたのに"と。


オルトスは脳に直接届いたその言葉に、一筋の涙を零した。はじめて、レイヴンの意志を直接汲み取れたのだ。自身が汲み取ろうとしたのではなく、レイヴンから訴えかけてきた……それが何より嬉しくて、辛かった。

だからオルトスはレイヴンに自身の血を飲ませ、額に口付けを落とした。するとレイヴンは白い光を放ち、人の姿へと変わっていく。レイヴンは呆然としていたが、自身の身体が変わっていることに気付いて驚きを隠せない様子だった。

「……お前を人間にした。ただ無条件でそれをする事は流石の私でも無理だ。だから……お前の寿命の概念を捨てる代わりに、私の使徒にした」

寿命の概念を捨てるということは、つまり実質の不死を表していた。寿命を捨て、オルトス自身が本当の意味で死ぬまで永遠に、死ぬことは無いという代償つきの延命だった。

その旨を説明すると、レイヴンはポロポロと涙を流しオルトスに抱きついた。

「僕は……まだ貴方のそばにいられるんだね!ずっと、貴方のお手伝いができるんだ……!!」

レイヴンが嬉しそうにそう言うと、オルトスは驚きを隠せない様子で問いかけた。

「……死ぬことが出来なくなるんだ、怖くないのか?」

「全然!僕は貴方の力になりたくて傍に居続けたんだ。僕は初めて出会ったあの日から、ずっと貴方に全てを捧げる気だったよ」

だから願いを叶えてくれてありがとう。

レイヴンはそう笑顔で答えると、オルトスの瞳から涙が溢れ出した。

レイヴンが死んだら大きな喪失感と共に永遠を過ごすことが分かっていた。だからこそ、こうしてまた共に過ごせるという安心感が、オルトスの心を満たしていた。


主と使徒であり、お互いにとってかけがえのない存在。

死と共に歩む神とその使徒は、こうして家族となった。