"今"を生きる、かつての友へ(前編)

罪業-1950年。

氷の国の兵士によって、始祖以外の神々が鏖殺された絶望の年。

この時の世界は地獄そのものであった。人間は巻き込まれるのを避けるために外に出なくなり、神々の死体が毎日どこかに落ちている……そんな日々だった。

「……随分物騒な世界になっちゃったね」

「そうだな、ここもいつまで持つか……」

山奥にぽつんと建っている木造建築の家の中で窓の外を眺めている2人の神がいた。

炎神アドラスと、闇神クラミツハ。魔力神ディラウラスが知恵神ウィズと共に、魔力に"属性"という概念をつくった際に産まれた"九属神"に含まれる2人だ。

2人は何千年もの間共に行動していた親友同士で、数百年前にこの山奥の一軒家に同居し始めた仲だった。神殺しが横行し始めたことで、ここに居れば見つかることは無いだろうと隠居していた。

アドラスは部屋の大きな引き出しを開けて、クラミツハに呼びかける。

「……クラミツハ、そろそろ魔石が尽きるから取りに行かないと。どうしようか?」

「あ〜……無いと俺もお前も魔力が漏れて人間にバレるからなぁ……坑道はすぐそこだし大丈夫だろ。行こうぜ」

クラミツハはそう返事をすると外に出る準備を始める。

神の魔力は鍛錬を積んだ人間にとっては場所を特定する判断材料らしく、見つかるのを避けるためにアドラスとクラミツハは魔石に魔力をある程度移すことで極力外に漏れ出ないようにしていた。しかし毎日行っている為に魔力が溜まった魔石が増え続け、新たな魔石を定期的に補充しなければならなかったのだ。

「わかった、早く済ませよう」

アドラスはそう言ってクラミツハと共に坑道に向かった。移動中は翼と天輪を隠し、極力人間の姿に近付け、見つかっても行き先が分からなくなるように寄り道をしながら進んでいく。

「うぅ、この時間はやっぱり寒いね……」

「お前には流石に寒いかこの気温……ほら、俺のも羽織っとけ」

季節の変わり目であり、寒がりであるアドラスは少し身体を震わせるとクラミツハは自身のマントをアドラスに着せる。アドラスは「ありがとう」と微笑み、嬉しそうにマントをぎゅっと掴んだ。クラミツハはそれを見て満足そうに微笑んだ。

2人は坑道に辿り着き、アドラスは小さな火を出し辺りを照らすと、さらに奥に進んでいく。人間が数十年前まで利用していた坑道なのだが、今では坑道自体が危険地帯に指定された為か人間が出入りすることは無かった。2人はそれを噂で知り、魔石補充の場として利用していた。


「ここの魔石もそろそろ尽きるだろうし、また新しい場所を探さないとね」

最深部に辿り着き、魔石を回収しながらアドラスはそう呟く。クラミツハはそれに返事をしながら辺りを警戒する。

アドラスが回収を終えると、2人は帰路につく。行きと変わらず慎重に進んでいると、遠くから叫び声が聞こえた。2人は目を見合わせ、声のした方に向かっていく。仲間が襲われてるかもしれないと思うと、助けようと身体が勝手に動いていたのだ。自分達が狩られて全滅の可能性もあったはずなのに、2人はどこまでもお人好しだった。

2人が駆け寄ると、神が翼をもがれ、あらゆる関節が逆方向に曲げられた無惨な状態で突っ伏していた。そこにいた人間は5名ほどで同じ服を着ており、氷の国の兵士が遂にここにまで来たのかと察することが出来た。

「……アドラス、下がってろ」

クラミツハは争いを嫌うアドラスを守るために一歩前に出る。兵士達は2人の方を見ると、一斉に襲いかかってきた。兵士達の動きは今まで格上であるはずの神々を殺してきただけに統率がとれており、人間離れした身体能力を持っていた。

これは神が殺されるだけあるな、と思いながらもクラミツハは魔力で双剣を作り出し応戦する。アドラスも槍を持ってクラミツハの背後を守るように立つ。クラミツハやアドラスのような実力のある神には兵士達も無力だったようで、意外とあっさり無力化できた。

「ふぅ……とりあえずなんとかなったな。こいつらも暫くは起きねぇだろ」 

「そうだね……今回も助かったよ、ありがとうクラミツハ」

「構わねぇよ。背中守ってくれてありがとな」

クラミツハとアドラスはそう言ってハイタッチをする。

"人間は絶対に殺さない"……2人は神殺しが横行し、狙われる日々を過ごしていてもそれだけは貫いていた。

何故か?争いを望んでいなかったから……それでも人間を、愛していたから。

愛していたから神として役目を全うした。どれだけ苦しめられたとしても、いつか争いが終わり、共存できる世界になると信じていた。だから、これからも人間を殺すことは無いのだろう。2人でいれば、何も恐れることはないのだから。

兵士達を無力化した2人は、再び家に向かって歩き始める。すると、遠くから子供が泣きながらこちらに歩いてくるのが見えた。迷子か?と子供の方を見てると、子供はクラミツハに気付いて駆け寄る。クラミツハはしゃがんで視線を合わせ、子供に問いかけると子供は、

「ママがみつからないの」

と答えた。クラミツハは子供を安心させるように微笑みながら頭を撫で、「一緒に探そうか」と優しい声で話す。その様子を微笑みながら見ていたアドラスだったが、それと同時に言葉にしがたい違和感も感じていた。

こんな山の中で子供が1人、しかも親を探しているとはどういうことなのか。この辺りは危険地帯に指定されている場所が多いのに、そんな場所に子供を連れて来るような親がいるのだろうか。

アドラスは怪しむように子供を見ると、子供が刃物を隠し持っていることに気付いた。その瞬間、考えるより先に体が先に動いていた。

「……っクラミツハ!!!」

アドラスはクラミツハと子供を離すためにクラミツハを突き飛ばす。すると子供が隠し持っていた刃物を、先程までクラミツハがいた場所にいたアドラスの脇に突き刺した。

「なっ……!?」

クラミツハが呆然としていると、アドラスはクラミツハのもとまで走り覆い被さるように庇う。すると何処に隠れていたのか、10人は余裕で超えるであろう人間が2人の周囲を囲むように現れ、銃弾を撃ち込む。その銃弾は全てクラミツハを守っていたアドラスに命中し、アドラスは呻きながらもクラミツハを傷つけさせまいと抱きしめ、離さなかった。銃声が止み、アドラスが力を弱めるとクラミツハは変わり果てたアドラスの姿を見て目を見開く。

「アドラス!!なんで……ッ」

クラミツハは顔を真っ青にしてアドラスの名を呼ぶと、アドラスは血塗れの手でクラミツハの頬を撫でる。

「……クラミツハ、怪我は…ない?」

「俺は大丈夫だ、でもアドラスが……!!はやく止血を……」

クラミツハは起き上がり、止血を試みようとするとアドラスは小さく首を横に振った。

「多分、無理だ……魔力が、もう…」

アドラスはそう呟くと視線を落とす。クラミツハがその視線の先を見ると、銃弾がアドラスの心臓を貫いていた。

「そんな……嘘だ、アドラス……俺を1人にしないでくれ……頼む……」

クラミツハが涙を堪えながらアドラスを抱きしめると、アドラスは乾いた笑いを零す。

「……クラミツハは、寂しがり屋だよね……昔も、今も変わらない…………」

魔力によって延命されていた身体の機能が消えていく感覚を覚えながらも、最期くらいはと愛おしそうにクラミツハを見つめ、アドラスは微笑んだ。

「……ごめんね。俺の、世界一大好きな__」

アドラスはそう呟くと、身体の力が完全に抜け、静かに目を閉じた。冷たくなっていく身体をクラミツハは嗚咽を漏らしながら強く抱きしめる。

「嫌だ………いやだ、アドラス……目を開けてくれよ、なぁ……」

涙が溢れ、視界がぼやける。親友の死を嘆く時間は、銃弾の装填音によって遮られた。

クラミツハはアドラスの身体を近くの木の傍にゆっくり寝かせると、隠していた天輪を顕現させ、翼を広げて普段からは想像もできないほどの低い声で呟く。

「……何故、子供を利用した?何故俺らを狙う?お前らは氷の国の兵士か?そうじゃないなら……」

クラミツハは魔力で銃を生み出すと、一瞥することも無く右側にいた人間の頭を撃ち抜く。

「……私利私欲のためか?」

クラミツハがそう言って睨むと、人間達は恐怖で一歩後退りをした。そんな中リーダーであろう人間だけは堂々と立っており、クラミツハの問いに答えた。

「神を殺せば氷の国から報酬金を貰えるらしくてな、俺らの集落は作物が不作だから金が必要なんだよ」

クラミツハはその言葉に舌打ちをし、魔力を放出させる。

「そんなものの為に俺らを狙い、アドラスを殺したのか……俺の大切な親友を……」

クラミツハが放出した魔力は左手に集結し、巨大な塊になっていく。その光景は世界の終わりを告げるような、得体の知れない恐怖を人間達に植え付ける程だった。

「……アドラスが望んだから殺さずにいてやったのに……守ろうとしていたのに……お前らは、それを仇で返しやがった。俺はもう、慈悲なんて与えてやるものか。……全て、壊してやる」

瞳から光が消え、全てを諦めた表情を浮かべながら、クラミツハは魔力の塊を爆発させる。その爆発は数分間全ての光を覆い隠し、その闇が晴れる頃には、そこにいた人間達は皆地面にこびり付いた黒い影のような姿になっていた。

それからクラミツハは、アドラスを優しく抱きかかえて近くにあるいくつかの集落へ赴き、全てを破壊していった。


そして2人の家に戻ったクラミツハは、近くに墓を作り、アドラスが寒くないようにとマントを墓に羽織らせる。そして幸せな日々が一瞬で終わりを迎えたことを痛感し、崩れ落ちた。

「アドラス……お前を守り抜くって誓ったのに……ごめん、俺が弱かったから……俺が油断してたから……ごめん、ごめんなさい……」

クラミツハは何時間もその場を動かず、ずっと涙を流していた。日が昇ってきたあたりで、クラミツハのもとを尋ねてきた者がいた。

「昨日お前の魔力の気配を感じたから様子を見に来たんだが……その様子だと来たのは間違いだったかもしれないな」

クラミツハが視線だけそちらに向けると、そこにいたのは2人の上司で、友でもある魔力神ディラウラスだった。

「……ディラウラス」

泣き続けていたからか、声が枯れ目を腫らした状態で座り込んでいるクラミツハを見てディラウラスは哀しそうに眉を顰める。

「一体、何があったんだ?それにその墓……」

ディラウラスがそう問いかけると、クラミツハは簡潔に経緯を説明した。そして説明を終えたあと、また静かに涙を零したクラミツハを見てディラウラスは涙を堪え、優しく抱きしめた。

「……ごめんな、俺は何もしれやれなかった。こんな苦しい思いを2人にさせてしまって……ごめん」

ディラウラスがそう呟くと、クラミツハは嗚咽を漏らし、ディラウラスは静かに一筋の涙を流した。

近くにまだ人間が居るかもしれないからと、ディラウラスはクラミツハに家の中にいるように指示し、ディラウラス自身は辺りを警戒するようにした。今の精神状態ではクラミツハはもう戦えないと判断したのだ。ディラウラスはクラミツハの為に定期的に家を訪れるようになったのだが、この日から2人が言葉を交わすことは二度となかった。



クラミツハは攻撃力がとても強く、破壊の権化と呼ばれていた神だった。

能力も、自分の立場も誇らしく思っていたものの、始祖神と九属神以外の神々や人間から避けられていた。皆と仲良くなりたい、沢山話がしたいと思っていたクラミツハにとっては、勝手に広まった噂と偏見で避けられるのはあまりにも辛かった。

だが、そんな日々の中でずっと隣にいてくれて、自分の気持ちを理解してくれた存在がいた。それがアドラスだった。

世界一大切で、大好きな親友。

アドラスさえ居てくれるなら、他はどうでもいいと思えるほどだった。世界の情勢がどれだけ悪くなろうとも、アドラスが隣で笑ってくれるのならその笑顔を見るために生きようと思えた。アドラスはクラミツハにとっての生きる理由であり、かけがえのない存在だったのだ。

それなのに、アドラスは目の前で、自分を庇って死んでしまった。

自分が弱かったから、人間を信じようと思ったから、その心を利用されて殺された。

クラミツハは何も出来なかった自分が憎くて仕方なかった。

家に居るようディラウラスに指示されてからは家のあらゆるガラスを割り、破片が散らばった部屋で酒を飲んでいた。アドラスの服を決して離さず、服に残るアドラスの匂いで辛うじて自我を保っていた。

一度酒をやめれば突然に現実を突きつけられ、ガラスをひたすら割って自身の愚かさを呪い続けた。そして酒を再び飲めば、元より酒に弱いクラミツハは何度も吐き出してしまう。胃の中が空っぽで吐けなくなれば、無理やり食料を詰め込み吐き出した。そんな日々を繰り返していたら何を食べても吐き戻すようになってしまい、気付けば全てのやる気を失い、何も食べなくなってしまった。神は食料が無くても生きられるとはいえ、その光景は生きる屍のようだった。

そして飲み食いをしなくなって数日すれば、幻覚が現れるようになった。

アドラスが楽しそうに話している姿や、傍に座って心配してくれる姿が、ずっとクラミツハの視界に現れるのだ。その幻覚が見えていた間は良かったが、時間が経てばアドラスの匂いも、声も薄れていくもので。服や部屋からアドラスの匂いが薄れていくと同時に幻覚も薄れ始め、やがて何も見えなくなってしまった。

アドラスの生きていた証が消えていく現実にクラミツハは限界を感じていた。そして、アドラスが自身にとってこんなにも大切な存在だったのだと改めて痛感した。


ある日、アドラスが居ない世界に耐えかねたクラミツハは、アドラスの服を一箇所に集め、アドラスがいつも使っていた槍を手に取った。

「……向こうでアドラスになんて言われるんだろうな、俺」


自殺したなんて聞いたら怒るだろうか。理由がお前が死んだのが耐えられなかったから、なんて言ったらどんな顔をするんだろうか。

今日でアドラスが死んでからちょうど1年になる。これ以上生き抜くのが無理ならば、今日死んだ方がいいと思ったんだ。

ディラウラスには……一言くらいなにか言えばよかったな。何度も家を訪ねてくれたのに、何も返せなかった。

他の神々はどうなったのだろう。この1年で争いは終わったのだろうか。


……なあ、アドラス。俺は今、すごく怖いんだ。

人が死んだら魂は最果ての地に送られるって言うだろ?お前に再び会えるかもしれないと思えば、なにも恐れることは無いのに。

「……これから生きるのも、死ぬのも、何もかもが苦しくて仕方ないんだ。ほんと俺は馬鹿だよな、だからさ……」


……また会えたら、馬鹿だと怒ってくれ。嘆いてくれ。あの頃のように笑って、傍にいてくれ。

そして、来世があるなら……


「……次は、今度こそ俺に守らせてくれよ。アドラス」


だから今は、この世界に笑顔で別れを告げよう。

クラミツハは、笑顔のままアドラスの槍で自身の心臓を突き刺した。魔力のせいですぐに死ねない身体は酷く苦しいはずだが、クラミツハは命が尽きるその時まで笑っていた。まるで全てから開放されたかのような、安らかな表情だった。



ディラウラスがクラミツハ達の家を訪ねたのは、それから2日後のことだった。

物音すら聞こえないことを不審に思い家に入ったことで、クラミツハの死が確認された。

このクラミツハの死が判明したと同時に、この世界に残った神は始祖神だけになってしまった。

……クラミツハは始祖神以外の、最後の生き残りだったのだ。

ディラウラスはクラミツハの死を嘆き、アドラスと同じ墓に埋めた。来世も共に居られるようにと、願いを込めて。

それからディラウラスは、時間がある時は必ず墓に立ち寄り、墓を綺麗に掃除する日々を送っていた。

そんなある日、ディラウラスがいつものように掃除をしていると一人の来訪者が現れた。

「……君も飽きないね、ディラウラス」

ディラウラスが振り返ると、そこに居たのは縁神ルリエンだった。ルリエンが故人を偲ぶような人ではないと理解していたため、目を細めて「何か用か?」と問いかける。

「2人は私も面識があったしお世話になったこともあるからね。借りを返しに来たんだよ」

ルリエンはそう微笑むと、見えない何かをきゅっと結ぶ動作をする。

「……何をしたんだ?」

ディラウラスがルリエンを不思議そうに見ると、ルリエンはにこりと微笑んで答えた。

「彼らが来世でも出会えるように、おまじないをね。ほら、私は縁の神様だから」

ディラウラスがその言葉に目を見開いてると、ルリエンは「柄じゃないと思ってるでしょ」と言ってへらへら笑った。

「……きっと大丈夫だよ。私がこんなことしなくても、2人はまた出会えるさ。こんなに縁がしっかり結ばれてるのも、かなり珍しいからね」

ルリエンはそう話すと、花を供えて立ち去っていく。

「……たまには神らしいこともするんだな、ルリエンも」

ディラウラスは呆れつつも微笑み、その後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。


そしてルリエンの言葉通り、2人はまた来世で出会うことになる。



……小国フレミアの王子と、専属騎士候補として。