午前7時。カーテンの隙間から漏れる光が部屋を照らし、窓から見える木に留まる小鳥がチュンチュンと鳴き朝を告げる。
ヘイルは小さく欠伸をして起き上がると鏡に向かい、紫から青に変わっていくグラデーションをした綺麗な髪を梳かす。紫と青系色で統一された東国風の服に身を包み、静かに扉を開け部屋を出ると食堂に向かう。
「おはようヘイル、そして誕生日おめでとう。相変わらず早起きだな」
ヘイルが食堂の扉を開けると夜空のような長い髪を持つ男が物音に気付き、青緑と赤紫色をした瞳をヘイルに向け微笑む。
「おはようラウ先生。僕に早起きだって言いながら僕の朝食だけ先に用意してる先生も、相当な早起きだよね」
ヘイルはその男……ラウに表情を変えぬまま返事をすると、少しのズレも感じさせないほどに綺麗に並べられた席から、1人分だけの朝食が置かれた席に座る。
彼らのいる場所は、中央国とも呼ばれているアトルチュアの東部にある、エルティマ町の一角に存在する養護施設。養護施設では孤児や親を失った子供が生活しており、ラウはここで唯一の先生だった。
「そうだ、今日の夕食はどうする?今日は君の誕生日だし、折角なら皆と豪華な食事でもどうかと思ったんだが……」
合掌をし、朝食を食べ始めるヘイルにラウはそう問い掛ける。ヘイルは口に含んだ料理を飲み込むと、目を細めて面倒そうな顔をする。
「……僕は食にはあまりこだわってないから、良いものは他の子にでも食べさせてあげなよ。どうせ明日には出所なんだし」
「だが……」
ヘイルのその言葉にラウは困ったように眉を下げる。
「僕はいつも通りの食事でいいよ。大勢の中に入ると多分……いや、絶対周りの子達は嫌そうな顔するから」
ヘイルはそう言うと少しだけ目を伏せる。周りに遠慮するようになったのは、必要以上に話さなくなったのはいつからだったかと、ラウは悲しそうにヘイルを見つめる。
「なあヘイル……今日くらいは我儘言っていいんだぞ?明日には出所なんだ、最後くらい自由にしても……」
「……実際そうして勝手に不満を抱くのはあの子達の方だ。実際に僕は我慢してるわけじゃないし、絡まれると後がめんどくさいから向こうの事情に合わせてるだけ」
ヘイルはそう言うと、食べ終わったのかごちそうさま、と手を合わせたあと食器を片付ける。ラウがその様子を不安そうに眺めていると、食堂をでる瞬間にヘイルはラウの方を振り向く。
「僕はラウ先生と風雅が今までと変わらず接してくれるなら、それだけで充分だよ」
ラウはそう言って部屋に戻るヘイルを見送ると小さく溜息をつく。
「はぁ……君に似て正直者だけど周りに遠慮しすぎじゃないか?いや、何もしてやれない俺にも問題はあるんだが……」
ラウは子供達の朝食の準備を進めながら、ふと過去の記憶を思い出す。
それは今から約15年前、大雨の日だった。
ラウは深夜に外から人の気配を感じ、不審がりながらも養護施設の扉を開けた。
「……!ラウ!!よかった、まだ起きてたんだな」
外に出てきたラウに気付いたのか、かつての旧友が、少年を1人抱えてこちらに近付いてきた。
「お前か、こんな時間にどうしたんだ?」
ラウが男に問いかけると男は困ったように眉をしかめた。
「この子を預かってくれないか。妻が亡くなってからは1人で何とかしようとしたんだが……色々事情があって一緒に居てやれないんだ。だから……」
男は自らの腕の中ですやすやと眠る息子を見つめて涙を堪えている。ラウはその様子を見て安心させるように優しい声で言葉を返す。
「……わかった。アルト、この子のことは俺に任せてくれ」
その言葉に男……アルトは安心したのか涙がぽろぽろと零れていた。
アルトはその後息子の名前がヘイルであること、そして定期的にお前とヘイルに手紙をだす、とラウに伝えて去っていったのだった。
ラウがそんな時もあったな、と感傷に浸っていると子供達が起きだしたのか、次々と食堂に入ってきた。「おはよう先生!」と元気に挨拶しながら入ってくる子1人ずつにラウは微笑み、名前を呼びながら「おはよう」と返していく。
最後に入ってきた銀髪を赤紐で結んでいる青年がラウの前に立ち止まった。
「おはよう先生。ヘイルはもう朝食食べ終わっちゃった?」
「おはよう風雅。さっきまで今日の夕食の話をしてたんだがなぁ……いつも通りでいいって断られてしまったよ」
青年……風雅の問いに対してラウは乾いた笑いを零しながら返す。
「やっぱり断るよね〜……ヘイルは正直者だけど極力迷惑かけないようにって気を遣ってるみたいだから」
風雅は後半の言葉が皆に聞こえないように少し声のトーンを下げながら話す。
「あんなに心優しい子が、何故周りから避けられてしまうのか不思議でならないんだよなぁ……」
「……ヘイルはいい人だよ。少なくとも、僕が先生に拾われてここに来た時に気にかけてくれた子は彼だけだったから」
風雅もラウも、ヘイルのことが大切で、大好きだった。昔は今のように表情を変えないような子ではなかった。誰に対しても笑顔で、だけどそれは演技でもなんでもなく……話す時は包み隠さず全て話してくれるような、そんな子だった。
それが今は、豊かだった表情は消え、周りの子供たちから避けられてしまっている。
「……先生は、なぜヘイルが避けられてしまうのかって言ったよね」
「……?ああ」
風雅は首を傾げるラウに、目を伏せながらこう呟いた。
「きっと、皆知ってるからなんだろうね。ヘイルは俺たちみたいに捨てられて、全てを失ってここに来たわけじゃないってことを」
ラウがその言葉に驚いていると、しびれを切らした子供達が風雅のもとにやってきた。
「風雅さん、はやくご飯食べよ〜」
「今日は僕の隣で食べよ!いいでしょ?」
「ずるい!今日は私が約束してたのに!!」
風雅の腕に縋り付く子供達に「ちょっとまってね」と微笑んだ後、ラウの方を見る。
「先生、後で頼みがあるんだけどいいかな」
ラウは風雅の問いに、こくりと頷く。
「俺に出来ることならなんでもするさ、君たちの為ならな」
暫くして部屋からヘイルは周りに人がいないのを確認し、大量の封筒を持って庭に出る。
「……無駄に多いんだよね、お父さんからの手紙。出所する前に何とか処理しとかないと」
持っている封筒は全て父親から定期的に届いた手紙だった。父親に関する大切な情報や個人的に残したいもの以外は持っていけないと、燃やしてしまおうと考えたのだ。
「……結局僕が把握してるお父さんの情報は鎮救熒に所属してることと名前だけ……早く、会いたいんだけどな」
ヘイルは庭の端に積み上げられている薪をいくつか持ってきて、手紙とともに火をつける。
愛されていたのは分かる、だからこそ僕をここに預けたのも知ってる。だけどその事実が……"愛されている"という事実が、この養護施設では足枷にしかならなかった。
『捨てられてここに来た僕達を、裏では嘲笑ってるんだろう』
『愛されて育ったやつが、なんで先生や風雅さんに手を差し伸べてもらえるんだ』
「羨ましい」、「妬ましい」、「許せない」……そうやって日々増えていく陰口と、それが耳に入って来た時の絶望感はいつまで経っても拭えなかった。変わらず接してくれたのは、風雅とラウ先生だけ。2人がいればそれでよかったし、充分だと思うようにした。
嘘はつきたくないし、つけない。けれどこの本心を皆に話せるわけもない。だから言わない選択肢しか出来なかった。「寂しい」、「苦しい」なんて、僕より苦しい思いをした人に対して言えるわけないだろう?
そんなことを炎を眺めながら考えていると、ふと肩をぽん、と叩かれる。
「誕生日おめでとう、ヘイル!こんなところにいたんだね」
「風雅……話しかければいいのに、驚かさないでよ」
ヘイルが振り返ると風雅はニッコリと微笑み、ヘイルは呆れたように溜息をつく。風雅は「話しかけたのに反応してくれなかったから肩たたいたんだよ〜」と頬を膨らませながら返した。
「それで……その芋は何?」
ヘイルは風雅が抱えている芋を指さす。風雅は気付いてもらえて嬉しそうに答える。
「例の手紙燃やしてるんでしょ?折角ならその火で焼き芋作ろうと思って、先生から貰ってきたんだよ〜」
「ついさっきまで朝食の時間じゃなかったっけ?……まあいいけど」
ヘイルは満更でもなさそうに、ホイルで巻かれた芋を焚き火の中に入れる。風雅はヘイルの隣にしゃがみ、炎を一緒に眺める。
「今日の夕食の件、断ったんだって?」
「うん」
「やっぱり、あの子達が怖いから?」
「言いたくないかな」
「……無理してない?」
「……多少は。しないと困らせてしまうから」
風雅の問いにヘイルは淡々と答える。風雅は眉を下げると「ねぇ」とヘイルに呼びかけた。ヘイルが風雅を見ると、風雅は真剣な表情をしていた。
「俺はヘイルが経験した苦しみを完全に理解してあげることは出来ない。だけど明日に俺達は出所してこの施設を離れるんだ、だから少しは気を楽にした方がいいんじゃないかな」
ヘイルは驚いたように少し目を見開いた後、また表情が普段の状態に戻る。
「気を楽に……ね。少なくとも出所すれば少しはマシになるとは思うから、あまり気にしなくていいよ」
ヘイルのその言葉に、風雅は何も返してやることが出来なかった。ただ今してやれることは静かに傍にいてやることだと判断したのか、そのまま芋が焼けるまで炎を共に眺めていた。
一方、鎮救熒本部の一室。夜空に浮かぶ蒼い月が、部屋の主である青年の赤髪を引き立たせている。
「失礼します」
緑のインナーカラーが特徴的な青年が部屋に入ると、赤髪の青年が「突然呼び出して申し訳ないね」と言いながら手招きをする。
「アドラスさんがオレを呼び出すなんて珍しいですね」
アドラスと呼ばれた青年はチラリと相手の腹部を見る。
「怪我は無事に完治したみたいだね、よかったよ」
「あはは、心配かけてすみません。階級も下がってしまったので面目ないです」
アドラスはふっと「命があるだけでも充分だよ」と返して微笑んだあと、本題に入る。
「シグラス、復帰早々任務を任せたいんだけどいいかな?」
「はい、なんなりと」
シグラスと呼ばれた青年は任務と聞いた瞬間に姿勢を整え、腕を後ろに組む。
「明日2人ほど鎮救熒に新人が入ってくるんだけど、彼らの迎えに行ってあげてほしいんだ」
「迎え……ですか?今まで新人に対してそんなことしてこなかったですよね?」
シグラスが首を傾げるとアドラスは眉を顰め、手を組んで答える。
「今、彼らの住居地であるエルティマ町の周辺は喰魂が多いんだ。道中襲われて合流出来ませんでした、なんてことは避けたいんだよ」
アドラスのその言葉にシグラスは納得いったように頷いた。
「そういうことでしたら喜んで。バディにもすぐに伝えます」
「うん、頼んだよ。俺達は加入試験の準備をしないといけないから見送ってあげられないけど……何かあったらすぐに連絡するように。いいね?」
アドラスのその言葉に「了解です」と返し、シグラスは部屋を後にする。
「……アドラス、シグラスに迎えを頼んだのは治安の悪さだけじゃねえだろ?なんで全部言ってやらねぇんだ」
いつの間に入っていたのか声の主である青年は、黒と紫のグラデーションが綺麗な髪を揺らしながらアドラスに近付く。
「クラミツハ……ノックくらいはしてって何度言ったら分かるのかな?」
「俺とお前の仲だろ?お前だって俺の仕事部屋に来る時はノックしないくせに」
クラミツハと呼ばれたその青年は書類が積まれている机に座る。アドラスは困ったように微笑むと、クラミツハの髪に触れながら答える。
「迎え自体はアルトさんからの頼みではあるけど……彼の息子って知ったらシグラスが恐縮しちゃうと思ったんだ」
「ふーん……」
アドラスは話しながらクラミツハの後ろ髪の一部を三つ編みにしており、クラミツハはそれを見て「良いなこれ、明日もやってくれよ」と満足気に三つ編みを眺めている。
「……何も悪いことが起こらないといいね」
「そうだなぁ……とりあえず今の問題は加入試験を新人がクリア出来るか、だな」
2人はふと窓の外を見つめる。すると先程まで満点の星空だったはずが、いつの間にか月は隠れ、どんよりとした空が広がっていた。
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