静かなる怒り

これは始祖神が座を降り、神のいない世界が幕を開けてすぐの話。

人間は困っていた。神が居なくなったことで魔力の毒を抑える術が無くなったことに。

神の血を飲むという行為は毒を抑え、人間を長命にする唯一の手段。神の恩恵を唯一代償無しに受けられる方法。

一部の人間は長命を望んだ。故に探し始めた。神の座を降り、人間として生きることを選んだ"元始祖神"の存在を。

種族は人間、しかし流れる血は神そのもの。喰魂(ソウルイート)になった元始祖神を襲うよりも人間を相手にした方が手っ取り早いと考えたのだろう。

そしてその標的に……ウィズが選ばれてしまった。

ある日突然のことだった。ウィズが隠居を選び、使徒であるリヒルスキアと共に拠点を探し旅をしていた道中で休憩していた時のことだった。

「俺が食料を探してくるから、ウィズは少し待っててくれ」

リヒルスキアがウィズにそう伝え、今晩の食料を調達しに行っているその間に、ウィズの背後から手が伸びてきた。

「っ………!!!!」

ウィズが気配に気付きリヒルスキアを呼ぼうとした瞬間に、伸びてきた手に口を塞がれた。

ウィズが周りを見ると、複数人の人間がウィズを囲うようにして立っており、その周辺の至る所に魔法陣が張られていた。

(こんなに大勢で一体何を……それに辺りにある魔法陣はまさか……)

ウィズがそう思った時、人間達が頷き合い、ウィズを拘束した。魔法で抵抗しようとしたが、辺りの魔法陣のせいか発動できず、抵抗出来ぬままどこかへと連れ去った。

 

リヒルスキアと別れた場所から遠く離れた森の中でウィズは下ろされる。

「さて……みんな準備はいいな?」

リーダーであろう人間がそう言うと周りの人間は刃物を取りだした。

「俺たちが生き延びるためなんだ、過去の行いを後悔するんだな。元始祖神サマ?」

(あ、これは……私、殺されるんじゃ……)

血が目的なのだとウィズが察した頃には遅かった。抵抗できる術がなく、リヒルスキアも近くにいない。

ウィズは泣くのを堪えながら何度も心の中でリヒルスキアの名を呼び続けた。自身が唯一信頼できる、最愛の人。

刃物が身体に近づいてきた瞬間、ウィズは目を瞑る。しかし、痛みはやってこない。

不思議に思っていると、拘束されていた体が解放され、身体を温かいものが包み込んだ。

「ウィズに随分酷いことをしてくれたみたいだな」

ウィズが目を開くとそこにはリヒルスキアがいた。ここで泣く訳にはいかないと、リヒルスキアの身体に顔を埋め、服をぎゅっと掴む。

「俺の大事な女神に手出すなんていい度胸だな小僧共が……ウィズに無許可で触れたこと、後悔させてやる」

リヒルスキアはそう言うと手を差し出し、魔法を生み出す。

それからは一瞬だった。

ウィズがいないことに気付き急いでいたのだろう、魔道具である本を休憩地点に置いてきたのか素手だったにも関わらず人間達を圧倒した。

「大丈夫だったか?ウィズ……」

リヒルスキアが心配そうにウィズに話しかけると安心したのか、ウィズの目には涙が溢れていた。泣き顔を見られるのは恥ずかしいのか、服を先程より強く掴み、頭をぐりぐりと押し付ける。リヒルスキアは優しい眼差しでそれを眺めながら抱きしめた。

「……来るのが遅いのよ、ばか」

ウィズはそう言いながらリヒルスキアに身を任せる。

「次からは1人にしないように気をつけるよ。ごめんな」

その後ウィズが泣き止むのを待ち、2人は先程までいた休憩地点に戻った。ウィズはリヒルスキアに抱きしめられ、見守られながら眠りについた。

 

リヒルスキアが、初めて人間に怒りを覚えた日。

ウィズが、人間の恐ろしさに改めて気付かされた日。

 

リヒルスキアのあの怒りに満ちた瞳を、あの日自分のために怒ってくれた最愛の人を、彼女は昨日のことのように覚えている。